東京の名門女子大とほぼ互角です
同じ京都でも有力大系列の同女を凌いでいるのは立派
京都にはお寺関連の大学が多いのですが、京女が西本願寺系ということを知らない人も意外に多い。
東山の山懐は、落ち着いて勉強したい人にはいい環境です。
韓国:梨花女子大学と学術交流協定を締結しました。
平成19年8月24日付で、韓国にある梨花女子大学校との間で交換留学を含む学術交流協定を締結いたしました。
今後 梨花女子大学校との間で学生の交換留学を行うことになりました。梨花女子大学校へ派遣される交換留学生は梨花女子大学校での学費は免除されることになります。
梨花女子大学校はソウル特別市西大門区新村地区に所在するミッション系女子大学であり、大韓民国で最初の女子大学で、同窓生は現在140,000人にのぼります。名門との誉れが高く、女子大学としては世界最大の規模を誇っています。また、大学のある新村は学生街として知られています。
奨学金制度 学びたい気持ちバックアップ。
さまざまな事情などから学費納入が困難な学生のために、各種の奨学金制度が設けられています。
京都女子大学独自の学内奨学金制度には、授業料の全額または半額相当額を給付する京都女子大学・京都女子大学短期大学部奨学金や京都女子大学育友会奨学金があります。このほかにも各種の奨学金を取り扱っています。また、入学試験の成績優秀者や入学後の成績優秀者などを対象とした成績優秀特別奨学生制度もあり、学生の修学に対する意欲や努力を奨励しています。
成績優秀特別奨学生制度(給付)
特に成績優秀な学生を対象とした制度です。1号と2号の2種類があり、「1号特別奨学生」は入学試験(一般入試前期A方式)の成績を基準とし、入学後2年間(短期大学部は1年間)給付します。「2号特別奨学生」は入学後の成績が優秀な学生に1年間給付されるもので、3年次か4年次(短期大学部は2年次)の時点における学科・専攻ごとの成績上位者5%が対象です。
京都女子大学・京都女子大学短期大学部奨学金(給付)
家庭の経済的な理由により、学業を続けていくことが困難になった学生に対して、本学が奨学金を給付して修学を援助する制度です。選考にあたっては、家計および成績などが重視されます。出願者に対して面接を行い、人物・健康・成績・学費支弁の困難度などについて検討したうえで採用を決定します。他の奨学金との併願もできます。
京都女子大学育友会奨学金(給付)
昭和63年度から設けられたこの奨学金は、京都女子大学・京都女子大学短期大学部の保護者会である育友会の寄付金を基金として運用しているものです。本学の学生であって、修学の熱意があるにもかかわらず、特に経済的困窮などの理由により学資の支弁が困難になった者に対して奨学金を給付し、修学継続の一助とすることを目的としています。他の奨学金との併願もできます。
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単位互換制度 坐禅を組み、きものを学ぶ
他大学の授業が受講でき、単位がもらえる単位互換制度はユニークな授業がいっぱいです。坐禅を組みながら仏教を学ぶ坐禅入門や、有名講師を迎え着物の極意を知るきもの学など。それぞれの大学の特色や地域性を生かした京都ならではの学習内容が揃っています。理工学部生がアートや音楽を学び、文学部生が医学を追究したりと、籍を置く大学よりも広範囲の学びが楽しめます。また、552科目中125科目(平成18年度)のキャンパスとなっているキャンパスプラザ京都はJR京都駅に隣接しており、京都女子大学からの、アクセスも便利です。
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ロケーション
京都 東山三十六峰の南端、阿弥陀峯の中腹に
京都女子大学はあります。ここは七条通が東大路と交差して終わるところであり、「東山七条」と呼ばれます。普段は観光客が多く、交通の激しいところでですが、ひとたび大学への坂道(女坂)を上れば、緑の美しい閑静な、女子大学にふさわしい地です。
背後にそびえる阿弥陀峰は、その昔、清少納言が「美しい山」と讃えましたが、今もなお、そのとおりの姿でたたずみ、京都の町を見守っています。付近には清水寺、妙法院、智積院、三十三間堂など、多くの古寺史跡が点在します。また西を向けば京洛は一望のもとに広がり、嵐山から北山、比叡山までパノラマの如く、その自然は桜、新緑、紅葉、雪化粧…四季折々の表情を見せてくれます。
このような豊かな自然と歴史に恵まれ、しかも京都の中心部に近いなど、大学生活を送るのに申し分ない環境といえるでしょう。
京都東山の、国立博物館、由緒ある古い寺々や社の間を通り抜ける通称「女坂」という坂を上っていった先に
京都女子大学はあります。閑静な住宅地に囲まれた場所です。春は桜、秋は紅葉に彩られる落ち着いた環境のなかで、学生達は全国から集い、学び、そして活躍の場を求めて全国へ と巣立っていきます。
言うまでもなく教育は、単に多くの知識を修得したり技能を磨くだけに終わるものではありません。 何よりも豊かな人間性が育つ教育こそ大切です。そのために「心の教育」を積極的に進めなければなりません。
京都女子大学は明治32年の創始以来、女子の高等教育機関として、一貫して仏教精神にもとづく心の教育をめざし、女性の地位の向上と活動の拡大を求めて努めてきました。
京都女子大学のつねに変わらぬ姿を以上で示しましたが、時代に応じて私たちも変化し自己改革する姿も同時に持たなければなりません。平成12年より次々と改革を行い、伝統を守りつつも、新しい学部や学科の設置、さらに大学院の拡充を行ってきました。また、大学、短大を通して資格課程の充実なども図ってきました。今後も学びの場、学生生活の場としての更なる充実をめざし、努力を続けるつもりです。
21世紀は女性の時代だといわれています。いま女性の果たすべき役割はさらに多く求められております。その一方で、まだまだ世の中は女性にとって困難な面があることは否定できません。しかし人は、自然の大きさや人々の繋がりの中で、生かされ、生きています。その中で、「生」を育む女性の視点は、学問や社会活動に対してますます重要に なっております。そういう視点を、学びによってより深め、実践により確かなものにし、局面を乗り越えていく力を養う場としての女子の大学が
京都女子大学であります。入学してこられる皆さんの将来に大きく期待をかけております。
“ひとつの燈火[ともしび]もこれを移せば千燈におよぶ”これは『維摩経[ゆいまきょう]』の「諸姉有二法門一名二無盡燈一。・・・無盡燈者。譬如三一燈燃二百千燈一。冥者皆明・・・」の私の理解である。
“信に目覚めた女性”は又「無盡燈[むじんとう]」とも呼ばれる。京都女子学園は「心の学園」ともいわれている。それは消えることのない真実の燈火を昏迷の世に燈し続ける女性を育てているからである。
本願寺の要職にあった碩学足利義山[せきがく・あしかがぎざん]の娘和里子[わりこ]は、正しく信(真実心)に燃えて仏教主義による顕道女学院の創設を決意し、出資者松田甚左衛門[まつだじんざえもん]との連名で明治32年2月15日、次の創立主旨を宣言する。
女子教育の必要は今更呶々[どど]するをまたず、然れども奮て其任にあたる者は実に寥々[りょうりょう]にして、たとひこれあるも忽ち興[おこ]りて忽ち亡び、或は其存否をだに知るべからざるものあり。其事のかたき亦知るべし (中略) われ等辛苦経営の間幾多の歳月を消磨し、事すでに落後の嘲[あざけり]を免れずといへども亦もつてやむべからざる者あり (中略) 本院は仏教を以て主義とし、徳育を以て本旨とし、勤倹貞専の美風を挙げ姑息軽佻[こそくけいちょう]の弊竇[へいとう]に堕さらんことを期す。江湖[こうこ]の諸君子本院方針の存するところを賛助し、われ等が経営を大成せしめられんことを希[こいねが]ふ。
明治32年といえば、神道優先の祭政一致政策、神道国教化政策が強力に展開されていたときである。このような情況の中で同年3月15日、顕道女学院は開院する。京都女子学園の創始である。同年8月3日には「私立学校令」が制定され、同時に「・・・学科課程ニ法令ノ規定アル学校ニ於テハ課程外タリトモ宗教上ノ教育ヲ施シ又ハ宗教上ノ儀式ヲ行フコトヲ許サザルベシ」(文部省訓令第12号)という宗教教育・宗教儀式等の禁止令が発せられた。
当時、私立の女学校は100校以上あったが、宗教教育の旗幟[きし]を鮮明にしていた学校は、教育存続のために各種学校に転落してでもその意志を貫くか、或はそれを放棄して世俗の学校として存続するかの岐路に立たされた。前者を選択した学校は、その後入学志願者の激減や退学者の続出で学校の存続さえ危くなっていった。
顕道女学院にも動揺が起こり、創立の主旨を貫くか、宗教教育を放棄するか。学院長である足利和里子は初志を貫徹すべく顕道女学院と訣別、翌33年文中園(文中女学校)を開設した。
以後10年間苦難の道を歩むが、円明院[えんみょういん]殿(九條武子[くじょうたけこ]のご生母)に物心両面にわたってきめこまかいご配慮をいただいている。このようにして、仏教主義に基づく教育は続けられた。その後社会情勢の変化の中で「文中女学校」は本願寺の要請に基づいて、本願寺仏教婦人会連合本部に経営権の全面移譲が行われた。明治43年のことである。本学園創立はこの年を基点としている。
当時の本願寺門主光瑞[こうずい]師夫人籌子[かずこ]裏方は早くから“仏教主義に基づく異彩を放つ女子大学”の創設を願っておられたが、明治44年1月、30才の若さでご逝去になり、そのご遺旨は仏教婦人会連合本部長九條武子が継承することになった。大正7年12月、待望の「大学令」が公布され直ちに「京都女子大学」設置認可手続をとったが、女子の大学設置は認めないというものであった。このような経緯の中で大正9年3月「京都女子高等専門学校」が誕生する。
当時、九條武子は「・・・釈尊は何人も憧憬[どうけい]し、而も未だ体験し得なかった解脱涅槃[げだつねはん]の貴き生活を、その人格の上に実現せられました。蓋[けだ]し如何なる教法も、われらの実生活に於て如実[にょじつ]に体験するところがなかったならば、所詮われらと関わりのないもの・・・」と信心の観念化に対し厳しく批判し、菩薩道[ぼさつどう]の実践を呼びおこさない教学(仏教)であれば、それは無縁不要のものと断じている。
その後、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と暗く悲しい時代を経て、昭和24年学制改革に基づいて現在の
京都女子大学が誕生する。
京都女子大学が「親鸞聖人の体せられた仏教精神」を建学の課題としていることは、前述の通りである。それは一切の人間が人格として尊ばれる世界をひらくことであり、自らの外形の美しさ、自らの知識の広さ、自らの能力の高さを誇り、他に優越する心を養うものではない。自己および一切の人間の心にひそむ自己中心のとらわれを知り、普遍的真実を志す主体を形成することが親鸞聖人の精神であり、京都女子大学の建学の精神である。
京都女子大学を目指されるあなたと相携えて、京都女子大学のよき伝統を形成したい。
京都女子大学・短大の平成20年度
出願書類が完成いたしました。対象の入試制度は次のとおりです。
・公募制推薦入試
・一般入試前期
・一般入試後期
・大学入試センター試験利用入試(前期)
・大学入試センター試験利用入試(後期)
・社会人特別選抜
初めて東山の京都女子大学を訪れたとき、東大路に面して伽藍を展開する智積院寺務所を京都女子大の校舎なのかと勘違いした経験がある。これは何も京都女子大が悪いわけでなく、寺が大学と間違われるような施設を寺務所にしているのが悪いのである。
東大路と京都女子を結ぶ坂道は女坂と呼ばれているそうだが、その雰囲気はキャンパス共々硬派である。坂の先に女子大というより工業系の単科大学のような飾り気のない質実な学び舎があった。女子大の華やかさとは無縁の寂びた佇まいに学問の厳しさのようなものを感じた。当日は冬休みで一般学生の出入りはなかったが、白衣を着た研究生が忙しそうに校舎を行き来していた姿が印象に残る。
途中見かける併設校の校舎が今流におしゃれをしていただけに、対比が一掃際立っている。実際に訪ねてみないと、学校というものも分からないものだ。
京都女子の前の坂を登り、その先にある石段を登ると凄い場所に着くんですが、そこまで登るのが凄く大変です
多分京都女子に入学してもほとんどの学生は行くことなく卒業するのではないかと思われます
この大学は真面目な学生が多い
本学園は「親鸞聖人の体せられた仏教精神にもとづく人間教育」を建学の精神としている。この建学の精神に基づく本学園の教育理念は、この精神に基づいて知性と情操を高め、人間としての自覚を深めるとともに、すべてのいのちを平等に愛する豊かな心を培うことによって、真の人間を育成することにある。
「仏教」は、悟りを得た人の教えであり、また悟りを得た人になる教えということであるから、悟りすなわち深く真実に目覚める自覚をその本質としている。この自覚に立つとき、すべてのいのちあるものを等しく尊び、敬い、愛する心が生まれ、そこにこそ真の人間の道があることを教えている。
それは、われわれ人間が自己に執らわれ、自己中心の欲望に溺れている愚かさ、浅ましさを知って、その歪みを克服する道である。
「親鸞聖人の体せられた仏教精神」とは、まさにこの仏教の道に立脚することであって、聖人はこれを明らかにするとともに、みずからの愚かさを深く自覚、懺悔しつつ、この愚かな身のまま、その精神を体得していくことができる道を示された。
もちろん、人間のあらゆる努力は人生を歩む上で大切であることは当然であり、教育の場でも知識を積み工夫を凝らし、不屈の精神で実行することが求められる。
しかし、自己の努力がすべてであるとして自己のみを頼りとし、自己のなすことを善しとする自力作善の心であってはならない。自己の力のみを頼りとし、自己に執らわれていては、いかなる努力も歪みが生ずるのであって、逆に自己に執らわれることの愚かさを知ることがこの歪みを正す道である。
この愚かさの自覚とは、宗教的な深い自覚である。このような自己内省があってこそ、思い上がりの心が退けられる。みずからの努力をも包み込んでわれわれを生かし、そうあらしめている限りない働きに気づかされるのである。
無限の力に支えられ生かされているという「いのち」そのものの不思議さを知るとき、自他の対立を超え、ともに生き、ともに育てられているという、あらゆるいのちあるものの平等を自覚するのである。これが人間教育の原点であり、本学の教育理念の基本である。