法然院の獅子谷仏定上人が何故京都文教を発願したのか、凄く興味があります。
そして芝増上寺の大島徹水上人が学校長に就任したいきさつなどにも興味があります。
いずれにしても仏教の深い縁で成り立っている大学であることは理解されます。尊いことです。(合掌)
本学の特色は、フィールドワークから学問を追究することにあります。文化人類学では世界という「外界」をフィールドにして、臨床心理学では人間の心の「内界」をフィールドにして、自らの勉強を組み立てていくのです。これらのフィールドには、千差万別の概念や考え方が存在します。それゆえ、たどり着く「答え」は一つだけでなく、一人ひとりが違った「答え」を導き出すことでしょう。20世紀の学問は、「一つの概念」だけで、あらゆる事象や問題を解決しようとしていました。その概念の範囲内で「百点満点」を取る優等生の育成に努めてきたのです。このようなシステムから生み出されるのは、同じようなものの見方・考え方しかできないクローン人間とも言える人材ばかり。そんな人材では、国家間や深刻な民族間の混乱や紛争、心の問題に起因した深刻な社会現象などを根本的に解決することなどできません。彼らは、自分の概念に当てはまらない考え方や出来事に、どう対処していいのか分からず、自分の意見を押しつけるだけだからです。ですから、21世紀の学問は、多種多様な考え方を持つ人間が地球上に存在していることを認識すべきなのです。そして、自分以外の人たちへの理解を深め、貢献する心を養っていくべきです。フィールドワークは、そのために最も有効な研究手段といえるでしょう。自分とは違った考えや価値観などを持つ人たちと接することによって「楽しさ」を発見し、それを分かち合う「喜び」を身をもって体験できるからです。
フィールドワークをとおして、お互いが「イキイキと楽しく生きていく」ためには、何をすべきかを学んでいただきたい。このような勉強のできる環境を整えるのが、大学の役目だと言えるでしょう。仏教の精神が息づく本学は、あらゆるものを受け入れていく姿勢の大切さを教えています。その中から、人間としての人格を完成させ、貢献することの尊さを理解させることに力を注いでいます。これは、モノが氾濫する物質文明に欠落している「力」であり「価値」なのです。
本学で修得していただきたいのは、「学問をとおして、自分を発見する」ことです。大学での4年間は、子供が大人へと脱皮する「さなぎ」の期間。この時期に自分を知ることは、人生において大変重要なことです。長所・短所も含めて自らを振り返り、理解できなければ「ひとりだち」することはできません。また、相手の心も理解できずに、信頼し合える友人もできないでしょう。
本学の人間学部は、人間の「心」を取り扱う学部と言えます。文化人類学科においては、自分の心をとおして相手を見たときに文化の本質が理解できます。臨床心理学科では自分の心を知らなければ、相手の心は理解できません。両学科とも、まず、「自分を知ること」によって学問を深めていきます。
歴史をひもとけば、戦後の50年間は、ひたすら経済とモノを追求する時代でした。エコノミック・アニマルと呼ばれ、資本主義のレールに乗って走り続けてきた日本において、「心」は二の次とされてきました。そのツケが、現代の歪んだ社会を生み出したのです。現代社会に深く巣食う諸問題に対して、今、何が必要でしょうか。それは「豊かな心」です。心の持ち方が、人の心を動かし、人をつくるのです。デフレスパイラルの中で元気のない日本、混乱や紛争が後を絶たない世界が求められているのは、そんな人材に間違いありません。本学では「豊かな心」を持つ人材を育成するために、教員・スタッフが一丸となって、積極的な取り組みを続けています。
本学で科学的、人間的、宗教的に「豊かな心」とは何かを、一人ひとりが追究することによって、新しいタイプのアントレプレナー(起業家)も誕生することでしょう。イギリスの大学のように、「パブリック」という社会をつくることが目的で利益を追わない分野での起業家を育成することも考えています。さらに、大手コンビニエンスストアを学内にオープンさせるなど、「社会」を大学に導入することによって、ビジネスのヒントを探ることができる環境作りも進める計画です。
このほか、心理臨床センターの分室を京都市内に開設し、大学院の研究生により多くの臨床経験を積む機会を与えています。また、学生のための相談室を設け、全学生を対象にした「癒しの場」とし、精神的に安定した人材を社会へ送り出そうとする取り組みも行っています。
このような環境で学生時代を過ごし、社会と結びついた「豊かな心」を持つ人材こそが、日本を、そして世界をイキイキ、ワクワクとさせていく原動力になると確信しています。
本学での勉強は「自分が何であるかを知り、自分自身の可能性を探る旅」です。今まで経験したことないような「大きな発見」に心を躍らせ、本学から旅に出てください。
本学は仏教の教えに建学の精神の基礎を置いています。仏教の開祖である仏陀は厳しい修行のすえに悟りを開いて自らの目的を達成しましたが、それを自分だけのものとせず、説法(自分の悟った心理を他者に説く)を通して他者の幸せに役立てて、またその他者が幸せになることを自らの幸せとされました。この仏陀の生き方を手本にして人格の完成を目指そうとする人を「菩薩」と呼びますが、菩薩は四つの誓い(四弘誓願)をたてなければなりません。即ち、
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど):他者の幸せに貢献する
煩悩無数誓願断(ぼんのうむしゅうせいがんだん):己を厳しく律する
法門無尽誓願学(ほうもんむじんせいがんがく):何でも学びとる精神をもつ
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう):必ず人格の完成を成し遂げる
という四つです。1は他者の幸福、2から4は自分の幸福に関わりますが、仏教では自分の幸福と他人の幸福とを別個のものとして考えられません。皆さんもこの4年間でしっかりと自己を鍛えて自分の目的を達成し、社会に出たらそれを他者の幸せに役立て、その他者の幸せを自分の幸せとすることが出来るような人間になってほしいという願いが、本学の建学の精神には込められています。われわれ教職員も仕事を通して自分の目的を達成し、そこで得られた成果を教育の場で還元し、そのことで学生の皆さんが智を深めていかれることを自分たちの喜びとしています。西洋の分析的思考の影響で、自分と他人とを分離し、両者の関係が希薄になりつつある現代、他者を通して自己を見つめ直すという仏教の教えを再認識したいものです。仏教の教えを建学の精神とする本学を巣立つ学生の皆さんが社会の様々な分野で「菩薩」として活躍されることを切に願っています。
本学園は1904年(明治37年)、京都の名刹法然院の獅子谷仏定上人の発願によって、高等家政女学校が創設されたことに始まり、大正に至って大島徹水上人(後に芝増上寺法主)を第3代校長に迎えて飛躍し、高等家政女学校に加えて京都女子厚生専門学校を設置するに至りました。
終戦後は学制改革に伴って家政学園中学校、同高等学校を、1960年(昭和35年)には家政学園短期大学を設置。1980年(昭和55年)には3学科6専攻の短期大学に発展したことを契機に京都文教短期大学に名称変更、その間幼稚園、小学校を併設して、今日では仏教精神にもとづく人間教育を誠実に実践する京都有数の学園として確固たる地位を占めています。
1994年(平成6年)、家政学園創立90周年を迎えるに当たり、文化人類学科と臨床心理学科からなる4年制の京都文教大学人間学部の設置を文部省に認可申請、あわせて既設の家政学園中・高等学校を京都文教女子中学校・高等学校に変更して校名を統一しました。引き続き、京都文教大学人間学部が完成年度を迎えるにあたり、学生の要望にこたえるとともに、大学の使命である文化の発展に寄与し、社会の役に立つ人材を育成するという社会的要請にこたえるため、文化人類学科および臨床心理学科を基盤とした大学院修士課程(文化人類学研究科・臨床心理学研究科)を2000年(平成12年)4月から、博士課程(臨床心理学研究科)を2002年(平成14年)4月から開設し、学問の名産地京都にふさわしい総合学園としての道を着実に歩んでおります。また、2003年(平成15年)4月には3つ目の学科、現代社会学科も開設しました。
法然上人の教えは念仏を唱えれば何人も救われる浄土信仰です
京都文教のベースでもあります
京都文教というと、最近なにかと話題になりますね。
だいぶ前、お正月明けの京都で白川から平安神宮に向かうともなく何気なく歩いていた時、祝インターハイ出場という垂れ幕のかかった校舎から、守衛さんから「出来ましたか?」と声を掛けられて出てきたセーラー服を着た女の子と連れの母親の姿を見かけたことがありました。時期的に推薦試験か何かだったんでしょう。
大学の方はよさこいに出たりしてますよね。
小さな大学ですが、
大きな大学にはない魅力があります。
南国土佐を後にして
都へ来てから幾歳ぞ
思い出します故郷の友が
門出に歌ったよさこい節を
土佐の高知のハリマヤ橋で
坊さんかんざし買うをみた
月の浜辺で焚火を囲み
しばしの娯楽の一時を
わたしも自慢の声張り上げて
歌うよ土佐のよさこい節を
みませ見せましょ浦戸をあけて
月の名所は桂浜
国の父さん室戸の沖で
鯨釣ったと言う便り
わたしも負けずに励んだ後で
歌うよ土佐のよさこい節を
言うたちいかんちやおらんくの池に
潮吹く魚が泳ぎよる
よさこいよさこい