桃山学院のルーツは、明治維新の頃に来日した英国人宣教師たちの活動にはじまります。1869年(明治2年)英国聖公会宣教協会(CMS)による最初の日本伝道が長崎で開始されました。桃山学院の創設に深くかかわることになるワレン師(Charls Fredrick Warren)は、その4年後に大阪に到着しました。


ワレン師は1841年3月12日、イングランドのマーゲードにうまれました。弱冠18歳で燃えるような外国伝道を志し、やがて香港に派遣されて貴重な経験を積んだ後、一旦帰国。1873年(明治6年)32歳の時にいよいよ日本(神戸)の土を踏んだのです。師は大阪の「川口外国人居留地」(現在の西区川口町)に居を定め、26年間にもおよぶ日本各地における意欲的な伝道活動を開始しました。その日本語はきわめて流暢であり、現在の『古今聖歌集』にも彼の翻訳した数編の美しい聖歌が載せられているほどです。そして、1899年(明治32年)6月8日、伝道旅行途上の広島県福山でワレン師は惜しくも急逝、58歳の生涯でした。

11人の学校
居留地での伝道活動が順調に進むにつれ、ワレン師は教育の重要性にも目を向けるようになりました。キリスト教信仰に基づく近代的な教育・・・それこそがワレン師の理想とする教育でした。そこで1884年(明治17年)居留地内の聖三一教会(Holy Trinity Church)の一室に小さな男子校(三一小学校)を開設しました。当時の居留地は、世界各国の人々が活躍する国際色豊かな町でした。授業は宣教師による英語と聖書の勉強のほかに、日本人教師による教育も行なわれました。生徒はわずか11名でしたが、高い理想と情熱に満ち溢れた個性的な学校が誕生し、それがわれわれ桃山学院の歴史の第一歩となったのです。「英語の桃山」という伝統もこの時代に遡るのです。

「桃山」という名の由来

三一小学校はその後も順調に発展し、1890年(明治23年)に、より高度な教育機関をめざして高等英学校を設立し、現在の天王寺区筆ヶ崎町に新校舎を建設しました。そして、1895年(明治28年)には「桃山学院」と改称されました。当時、その界隈が桃の名所として親しまれており、「桃山」と呼ばれていたためです。

「自由な学風」の確立

1902年(明治35年)、桃山中学校が開校しました。やがて、生徒数が500名を超えた桃山中学校は、1912年(大正元年)現在の阿倍野区昭和町キャンパスに移転。周囲を緑に囲まれた田園地帯の中の近代的な美しい校舎は当時の若者たちの憧れの的でした。勉学意欲に燃えた生徒が、他校から転入してくることも少なくなかったそうです。1922年(大正11年)、英国皇太子ウィンザー公が大阪港に入港した折りには、桃山中学校の生徒が上陸した将兵たちのガイドを務めたこともありました。のびのびとした学園生活を謳歌する、桃山学院の自由な学風が確立されたのもまたこの時代のことでした。

戦後の発展
やがて時代は第2次世界大戦に突入し、1945年(昭和20年)3月の大阪大空襲で昭和町キャンパスが焼失してしまいました。しかしながら、あちこちの小学校の教室を借りてすぐに授業が再開され、1947年(昭和22年)に新制中学、1948年(昭和23年)に新制高校が発足しました。そして、1949年(昭和24年)には、ようやく待望の新校舎が再建され、桃山学院中学校・桃山学院高等学校として新たに出発したのです。そして、1959年(昭和34年)にはキリスト教新教日本伝来100年を期して、いよいよ桃山学院大学が開学されました。開学式の式典は、準国賓として来日した英国聖公会カンタベリー大主教フィッシャー博士の臨席のもと、厳かに盛大に執り行われました。桃山学院(高等学校・大学)は122年の伝統をもつ大阪のもっとも旧いキリスト教私学のひとつです。遠い明治の昔、ワレン師らによって生みだされた理想の夢。一世紀を越える時の流れの中から、その夢は今また、さらに大きくふくらみ始めようとしています。21世紀をになう自由と愛の精神に富んだ若者たちの育成をめざして・・・・。

大学の歴史
1959年 桃山学院大学(経済学部経済学科)開学(昭和町)
1960年 《文部省委嘱》司書・司書補講習開校
1962年 堺市西野に登美丘総合運動場完成
大学学歌制定
1966年 社会学部(社会学科)増設
堺市西野に登美丘学舎完成
1971年 学舎を登美丘に統合移転
1973年 経営学部(経営学科)増設
1984年 学院創立100周年記念式典
1989年 文学部(英語英米文学科、国際文化学科)増設
1990年 大学チャペル完成
1993年 大学院経営学研究科(経営学専攻)開設
大学院文学研究科(英語英米文学専攻、国際文化学専攻)開設
1995年 大学および学院事務局、現キャンパス(和泉)に移転
1998年 社会学部(社会福祉学科)増設
大学院経済学研究科(応用経済学専攻)開設
1999年 桃山学院大学白浜セミナーハウスオープン
大学院経営学研究科、文学研究科に博士課程設置
2000年 大学院社会学研究科(応用社会学専攻)開設
2002年 法学部(法律学科)増設
大学院経済学研究科に博士課程設置
2003年 大学院社会学研究科に博士課程設置

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コメント

桃山学院大学の教育理念は「キリスト教精神に基づく人格の陶冶と世界の市民の養成」です。世界はいつの時代でも変化の連続で、現代は高度情報化とグローバリゼーションによる大きな転機を迎えています。加えて、交通機関や照明機器の発達は、生活リズムの不規則化と空間の狭小化を進展させています。これからは情報リテラシーや外国語によるコミュニケーション能力が求められますが、そこには開かれた心が不可欠です。同時に人間をトータルに理解して、健康の自己管理能力を高めなければなりません。大学での授業を中心に、教養と専門の知識を学びますが、それをいかに活かすかが大切です。

また、人生は職業によって大きく左右されます。しっかりした職業観と職業能力の育成も大学の重要な使命です。桃山学院大学には、外国語教育センター、情報センター、充実した図書館、エクステンション・センター、国際センター、さらに多くのクラブ活動やボランティア活動など、多様な教育環境が用意されています。学生のみなさんの積極的な参加と教職員一同の熱意によって、これらの諸活動を通してみなさんと共に、教育理念、理想に近づいていきたいと思います。

│URL│09/06 06:46│編集

桃山学院大学では、開学以来「キリスト教精神に基づく人格の陶冶」と「世界の市民として活躍しうる国際人の養成」を建学の精神とし、つねに行動力のある「世界の市民」の養成につとめてきました。これまで経験したことのない、新しい国際時代を迎えた今日、民族や体制の違いを超えた「地球社会」への積極的な貢献こそが、本学に求められる重要な使命(ミッション)であると考えています。



桃山学院の学院章には、“SEQUIMINI ME”(我に従え)という言葉が刻まれています。それはアンデレがイエスに従ったように、「自由と愛の精神」を持って生きることです。使徒パウロが書いています。「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」(ガラテヤの信徒への手紙5章13節)自由には他者への愛と責任がともないます。「自由」とは一人ひとりの人格と主体性を尊重すること、「愛」とは互いに支えあいながら他者と共に生きることです。この「自由と愛の精神」は、たんにキリスト教の立場だけではなく、すべての人間が一致しうる普遍的な理念であり、人類共通の目標です。人間のそのような可能性を開花させながら、高い理想をめざしてチャレンジし続けていくこと、それこそが桃山学院の一世紀を超える伝統がめざそうとする「キリスト教精神」であり、「世界の市民」への道なのです。
│URL│09/06 06:44│編集
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